2009年02月10日

ワードマップ・戦争

ワードマップ・戦争

押井守監督の傑作『機動警察パトレイバー2 the Movie』の引用元とされた書籍。

もっとも『Talking Head』の時の「映画はもうすぐ百歳になる」のような直接的な引用はそれほど無く思想的な部分で影響を与えたものようである。

ネットなどではP2の引用元という風に紹介はされているのだが押井守監督はいつものように明言したわけでは無い。私が知る限り自著『これが僕の回答である』で「あの作品(P2)の核になっている台詞は、実はある論文をダイアログに組み立て直したもの」というものがあるだけでありもしかするとこれ以外のものなのかもしれない。

実際にP2のファンででこの書籍を読まれた方は極々少数には違い無く絶版の現状では手に入れるのはなかなか難しいであろう。

内容であるが、この本で語られているのは戦争論でありこれがとても面白い。単に戦争の良い悪いという部分では無くもっと深く切り込んだ小論文集であり普段は考えもしない戦争の裏側を垣間見ることが出来る。
タグ:戦争 引用 原典
posted by 網加 at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 機動警察パトレイバー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

「災いなるかなバビロン、そのもろもろの神の像は砕けて地に伏したり」

そのもろもろの神の像は砕けて地に伏したり

「災いなるかなバビロン、そのもろもろの神の像は砕けて地に伏したり」

押井守監督の『機動警察パトレイバー劇場版』で使われたこのセリフは旧約聖書イザヤ書21章バビロンの滅び(バビロンの陥落)9節から引用されている。引用元は同じく筑摩書房「世界古典文学全集5・聖書」関根正雄、木下順治編集である。

イザヤ書 21章 9節抜粋
彼答えて曰く「バビロンは倒れたり、倒れたり。そのもろもろの神の像は砕けて地に臥したり。」

セリフ冒頭にある「災いなるかなバビロン」という文言は含まれていない。しかしこの言い回しは一般的ではあるから後から付け加えられたのだろう。またCLAMPのマンガ『TOKYOバビロン』には「災いなるかな バビロン、神の怒りに 沈む都市」との文言が出てくる。

このセリフが創世記バベルの塔からの引用であるとするテキストもいくつか見かけているが実際の聖書、創世記にはそのような表記は無く前出した「エホバ下りて〜」から続けての言葉だと勘違いしているのかもしれない。

もっとも訳し方によって表現が変わってくるのは当然であるから他の書物に同様の文言があったのかもしれない、こちらはまだ調べてみたいところである。

posted by 網加 at 11:44| Comment(0) | TrackBack(1) | 機動警察パトレイバー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「エホバくだりて、かの人々の建つる街と塔を見たまえり。いざ我らくだり、かしこにて彼らの言葉を乱し、互いに言葉を通ずることを得ざらしめん。ゆえにその名は、バベルと呼ばる」

エホバくだりて、かの人々の建つる街と塔を見たまえり

「エホバくだりて、かの人々の建つる街と塔を見たまえり。いざ我らくだり、かしこにて彼らの言葉を乱し、互いに言葉を通ずることを得ざらしめん。ゆえにその名は、バベルと呼ばる」

押井守監督の「機動警察パトレイバー劇場版」において引用されている旧約聖書の文言は創世記:バベルの塔と詩篇の一部、そしてイザヤ書の一部からとなっている。ここでは帆場の犯罪、キーワードとなるバベルの塔に関する部分を書き出してみた。

Go to,let us go down, and there confound ther language,that they may not understand one another's speech

「いざ我ら降り かしこにて彼等の言葉を乱し互いに言葉を通ずることをえさらしめん」

このHOSのマスターコピーに仕組まれたキーワードは後に後藤隊長によって前後の文言を加えたものが出てくる。

「エホバくだりて、かの人々の建つる街と塔を見たまえり。いざ我らくだり、かしこにて彼らの言葉を乱し、互いに言葉を通ずることを得ざらしめん。ゆえにその名は、バベルと呼ばる」

これらは共に旧約聖書 創世記11章から引用されたものだ。
引用されたのは5節、7節、9節である。
以下は新共同訳による同章の引用である、劇中で使われたであろう関根正雄氏の翻訳と比べると判りやすく訳されている

旧約聖書 創世記11章 5〜9節 新共同訳
5節
主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て
7節
我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。
9節
こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

同文の関根正雄訳 筑摩書房「世界古典文学全集5・聖書」
5節
エホバ降臨りてかの人衆の建つる 邑と塔をとを観たまえり。
7節
いざ我ら降りかしこにて彼らの言葉をみだし、互いに言葉を通ずることを得ざらしめん
9節
このゆえにその名はバベルと呼ばれる。

注目すべきは言葉を混乱させ・・・という下りではないか、重低音を用いレイバーを暴走させる帆場の犯罪を考えれば上手く引用されていると感心してしまう。

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2006年03月29日

『けんかえれじい』と「二課の一番長い日(前編)」

 押井守監督本人、そして周囲からのインタビュー等で幾度と無く語られるのが鈴木清順監督の影響である。押井作品の多くは多少の差はあれ鈴木清順監督作品からの引用やパロディで溢れている。

 特に顕著と言われているのが初期OVA版パトレイバー第5話「二課の一番長い日(前編)」である。多くのメディアでも紹介されているが鈴木清順監督の『けんかえれじい』の秀逸なパロディとなっているのだ。

 『けんかえれじい』は高橋英樹氏主演の青春ものである。けんかが強くその強さ故に様々な人々を巻き込み巻き込まれていく。しかし今のような単なるバイオレンスな作品では無くどんなに暴力的であってもユーモアも忘れない好感の持てる傑作である。その派手なけんかシーンと対比するかのように描かれる純愛模様もまた格別だ。

 「二課の一番長い日(前編)」は東京で起きた自衛隊のクーデターを阻止する為に篠原と泉が東京へ向かうシーンで終わる。そしてこのシーンとまったく同じシーンが『けんかえれじい』の終盤で描かれているのだ。東京で起きた二・二六事件を知り高橋英樹扮する主人公が相棒と共に雪の中を汽車で東京へ向かう・・・、まさに同じシーンである。

 細かい演技にも幾度と無く使われている、特に印象的なのは進士(声:二又一成)がシリーズ中何度も口ずさむ「撤収〜」というセリフと足を持って逃げるシーンではなかろうか。これは同じ声優、二又一成が演じる『うる星やつら』でのチビも幾度と無くこのシーンを演じている。これもまたけんかえれじいからのパロディ、引用なのだ。

 まだまだ引用や影響はたくさんあるだろう、しかし私はまだ鈴木清順監督作品全てを見てはいない、今後もそんなシーンがあれば書き連ねたいと思う。

  
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2006年03月20日

黒澤明監督作品『天国と地獄』に見るパトレイバー

 黒澤明監督の『天国と地獄』を見た。一級のサスペンスに絡む人間模様はさすがに凄かった。数々の時代劇で見せたアクションの見事さはここではすっかり影を潜めモノクロの中であるにも関わらず強烈な色彩を意識した演出には圧倒されるばかりである。

 押井守監督の文脈に置いて鈴木清順監督などの名前は常に見かけるもののあまり黒澤明監督について言及しているものは見たことが無い。無論年間1000本もの映画を見てきた押井監督が黒澤明作品を見ていないはず有り得ないであろう、何かあるはずだと思っていた。そしてその断片がこの『天国と地獄』という作品に色濃く見受けられるのを初めて知ったのである。

 この作品での主役は三船敏郎氏である。何本もの黒澤明作品で主役を受け持ついわば顔のような存在だ。そしてその三船氏に勝るとも劣らないインパクトを残す俳優が仲代達也氏である。この作品では刑事役として登場するが・・・その佇まい、誰あろうパトレイバーシリーズの後藤警部補そのものである。

 以前から後藤警部補のモデルは仲代達也氏であるという噂を聞いていた(無論カミソリ後藤という名前から後藤田元官房長官もモデルの一人)がこの作品ではまさに後藤さんそのもののようである。飄々としながら犯人に罠をかけるという大胆さ、冷静沈着さ、少なからずここでの仲代達也氏が影響を与えた事は間違いが無い。

 さらに、この作品の犯人(山崎努氏が怪演)が街の高台にある主人公である三船氏の住まいを見続け犯罪を考えていたという下りは『劇場版パトレイバー』の犯人、帆場と同様である。刑事達がその犯人の足取りを追う内に入り込む世界はパトレイバーでの廃墟そのものだ。

 丘の上の金持ちを眺めて、猥雑した自分の住まいに篭りどんな犯罪を考えていたのか・・・

 黒澤監督は確かに豪快なアクションや人間模様を描く事に卓越した監督である。しかしそれ以上に強い印象を残すのがゴミのような世界である。とても汚い世界であるにも関わらず映像に表れるその世界はゴミである以前に何かしら神々しいものさえ感じる。この『天国と地獄』にはそんなシーンが数多く登場する、『どですかでん』においてもゴミの塊そのものだ、『用心棒』も『椿三十郎』もシーンのあちこちにある汚れた風景が見事なのだ。これは丁度押井守監督が廃墟の映像に力が入っている事と非常に近いものを感じてしまう。

 廃墟、ゴミ、水、煙・・・タルコフスキーを筆頭に海外監督の影響、引用を語られる押井守監督であるが実際は邦画の世界にもその絶大な影響を見出す事が可能なのである。そしてそれは押井守を通して古き良き時代の映画に触れるチャンスでもある。今回の『天国と地獄』はそれを再発見するよい機会であった。

  



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2006年02月02日

「我地に平和を与えんために来たると思うか。我汝らに告ぐ、しからず、かえって分争なり。」

「我地に平和を与えんために来たると思うか。我汝らに告ぐ、しからず、かえって分争なり。今よりのち、一家に五人あらば三人は二人に、二人は三人に分かれ争わん。父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に……」

押井守監督作『パトレイバー2 the Movie』において上記のセリフはとても重要な意味を持つものである。これは新約聖書ルカ伝福音書からのものであり引用はこちらも同じく筑摩書房「世界古典文学全集5・聖書」関根正雄、木下順治編集である。

新約聖書ルカ伝福音書 第12章51〜53節
「我地に平和を与えんために来たると思うか。我汝らに告ぐ、しからず、かえって分争なり。今よりのち、一家に五人あらば三人は二人に、二人は三人に分かれ争わん。父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、姑は嫁に、嫁は姑に分かれ争わん。」

この文面をどう解釈するかは難しいところである。柘植がこの文章にどんな意味を込めていたのだろうか、これから別れて戦う事を説いたのであろうか・・・神ならずとも柘植にしか判らないところであろう。

映画本編では触れることは無かったがノベライズ版の『TOKYO WAR』ではこのセリフは事件を解くための重要なヒントとして登場してくる。無論先にこの文章があっての伏線になるのだろうがなるほど上手い使い方をするものだと感心した、このノベライズ版と比べてみるのもまた一興である。

 


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2006年01月24日

東京の音:機動警察パトレイバー 2 the Movieサウンドトラック

東京へ行って来ました。もっとも私にとっては人も車も多く、混沌としていて苦痛しか感じない都市です。なぜあれほどの人や情報が集約しているのか私には理解出来ないのです。ただただ疲れるところでした。

そんな東京という空間、あなたは何を連想するでしょうか?私にとって一番強く思い起こされるのは押井守監督の『機動警察パトレイバー劇場版1、2』でしょうか。アニメーションとしてそこに描かれた東京。それは昭和の名残を残した幻のような、蜃気楼のような、人々が溢れかえる生としての都市では無く廃墟となり誰の目に触れぬもう一つの東京の姿が緻密に描かれているのです。
1作目では水路を彷徨い地上よりもさらに低い目線で迷路のような世界を曝け出し、2作目ではヘリや飛行船から高く俯瞰し虚構の世界としての東京が浮き出しにされています。そこには実写では決して表現出来ないもう一つの東京が描かれているのです。

もし東京で戦争が起ったらどうなるのか・・・2作目で淡々と戦争論を展開する先にはハリウッドには絶対に出来ない緻密な世界観が広がっているのですね。だからこそアニメーションでありながら非常に高い緊張感とテロの恐さがこちらに伝わってくるのです。地下鉄サリン事件、NYの爆弾テロ、PKOに米軍の強行、コンピューターウィルス・・・・パトレイバーではそんな負の世界を何年も以前に予見していたのですね、だからこそ真の意味での東京をそこに見出してしまうのです。

東京へ行った理由の一つに六本木ヒルズで展示されている森都市未来研究所を見る事でもありました。そこには1000分の1のディオラマで再現されたNY、東京、そして上海の街並みがありやはり圧巻と言えるものかもしれません。そして会場では押井守監督が監修した2本の短編映画が上映されているのです。東京の水路を辿り写し出した「東京静脈」、空から俯瞰した「東京スキャナー」。共にDVDで持っているものの本来のフォーマットではこのヒルズでしか見る事が出来ないのです。複数のプロジェクターとスクリーンで描かれた二つの東京はまさに実写版パトレイバーなのですね。そしてこれが東京という空間なのです。

この会場、展示スペースには川井憲次氏のパトレイバー2のサントラが流れていました。そう、あのサントラにも映画と同様に東京を連想させる曲が詰まっているのです。特にDVD版に合わせて再レコーディングされたアルバムは打ち込みの音からその殆どを生の音に差し替えられたもので厚く重厚になった楽曲はさらに緊迫感を増していますね。『イノセンス』でも打ち込みのデモに合わせて生音でレコーディングしていました。押井監督としては厚みのある音が欲しいと言ってましたがその成果がこのアルバムなのでしょうね。
東京を連想させる音、私にはパトレイバーのサントラでもあるのです。

あみかさんの音楽、映画レビューサイト 2005年09月20日掲載

 


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2006年01月18日

篠原重工業のモデルは・・・

パトレイバー劇場版で重要な役割を果たす篠原重工業は本田技研工業がモデルとなっていると思われる。

これは劇中、榊と実山との会話「進駐軍にトラックの部品を納める町工場からはじめて50年〜」という部分に端的に表れている。本田技研は当初、進駐軍の余った部品を使った補助エンジンを開発、販売をしていた、さらに50年という下りにおいても同様で、1998年は本田技研の創立50周年の年でもある、これはパトレイバー内での時間軸に合わせてもほぼ同じである(劇場版の年代設定は1999年である)。

本田技研の創設者である本田宗一郎氏は息子である本田博俊氏を自分の後継者とすることも入社させる事もさせなかった、ここらへんの親子の葛藤のようなものもやはり篠原重工業の設定に非常に似ている。

また後進企業が新しい技術力で大手の市場に入り込むという点においてもやはり本田技研の企業スタイルに酷似しているではないか。ちなみにこの設定が『イノセンス』のロクス・ソルス社の設定内容と同一なのは興味深い。

もうひとつ、整備班長の榊、彼の言動はどうみても本田宗一郎氏そのものを連想させる、激情的で機械が好き、自らの主張は必ず通す半面「偉い人が無茶をすると困る」と後藤隊長に言われてしまうほど子供っぽい部分を持つ。いい意味での自己中心的なオヤッさんと呼ばれる部分は瓜ふたつだ。ちなみに本田宗一郎氏はオヤジさんと呼ばれて社員からは絶大な信頼を得ていた。だが数々の自分の理論、(一番大きなものは車は空冷で冷やすという主張)とを強く主張しその意地を通したりもした。しかし自分の時代が終わったと悟ると最後には自らは身を引き後進に任せた。最後まで自らの名前を社名にした事を悔やんでいた事も氏の性格を物語っている。




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2006年01月15日

パトレイバー2、台詞の引用元は・・・

押井守監督自らが執筆した著書『これが僕の回答である。』によると『パトレイバー2 the Movie』の台詞はある論文を元にしたと書かれている。

いろいろ探してみたのだが新曜社発刊の『ワードマップ 戦争』という書籍がその原典であるらしい。

現在絶版ということであるがぜひ探して読んでみたいものである。




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2006年01月12日

「我々はどこへ行くのか、我々は何者なのか」

「我々はどこへ行くのか、我々は何者なのか」

押井守監督作品、『機動警察パトレイバー劇場版』において後藤隊長と松井刑事がやり取りする場面でこの「我々はどこへ行くのか、我々は何者なのか」というセリフが後藤隊長から発せられる。

前後するセリフとして「大昔ヨーロッパに攻め込んで破壊の限りをつくした野蛮人の隊長が壁に書いた文句」と続いて説明されるものだ。

これはアレキサンダー大王ことアレクサンドロス3世がシーワのアグルミの丘で壁に書いた文言からの引用であると思われる。アレキサンダーは32歳という若さで亡くなったがその場所ばバビロンであった。

ちなみに画家ゴーギャンの描いた作品にも「我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?」というものがあるがこの問いは普遍的なものであり誰でも一度は問い掛けるものであろう。




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2005年12月28日

戦争って恐いけど...:機動警察パトレイバー2 the Movie

 パトレイバー2、イノセンス公開まで私が押井監督作の中で一番好きな作品だった。無論別の作品であるから比較すること自体がナンセスではある、公開から10年近くたつものの今でも一級のサスペンス映画だと思っている。

 さてパトレイバーである、OVAや原作でのノー天気な作品と異なり二作目の劇場版では徹底してシリアスに(表面上だけど)仕上げられている。さらにこちらもあちこちで議論が沸き起こっているけど私にとっては戦争恐いというのと大人の恋愛映画という2点に絞られる。

 この作品で描かれる内容こそ現在にもっともふさわしいのでは無いか、PKOや平和維持軍としての自衛隊を描いているわけだし現にイラクで起っている状況を考えれば如何に先進的な視点で作られているか良くわる。さらに恐いのはここで描かれた戦争がモニターを通しているという点だろうか。今もイラクを始め世界中で戦争が行われているわけだがTVやインターネットで見る中継では淡々とその様子を写し出しまるで別世界のような感じを受けてしまう。実際にこの映像の向こう側では人が死んでいるわけである、そういう感覚がまるで麻痺している自分に恐さを感じた。

 劇中では橋、そしてこのモニターといったものを巧みに使い様々なシーンに意味を持たせていることが押井監督著による「メソッド」で事細かく解説されている。もしパトレイバー2をもっと奥深く知りたいのであればぜひこの「メソッド」を入手することお薦めしたい。

 話は戻るけど現実の世界でも自衛隊を戦場に派遣する是非を問う社会問題があるがこの不安定な世界状況下において日本だけが戦争を拒むことが果たして良い事なのかいつも自問自答してしまう。平和ボケした日本国民にとってはそれでもいいのかもしれないが世界はそんな生易しい所ではないその状況を理解し得ない事には真の世界平和は達成されないであろう。もっと悲惨な現実を見なければいけないのでは無いか、劇中柘植が同じようなニュアンスの事を言っているが正にその通りだと思った。我々は平和に馴れ過ぎている、そして自己を、自己だけを守姿勢が身についてしまっている。もっと世界を見つめなければならない。

 そしてもう一点、ここの作品では大人の恋を断片的に描いている、柘植と南雲、そして後藤の3人である。それぞれの立場上の微妙なニュアンス、駆け引きはこれまで押井作品では触れられていない部分だったと思う。決して視線を合せないそれぞれ3人ではあるがラスト柘植の手を握る南雲の仕草、このシーンだけで全てが判るような名シーンだと思うがいかがであろうか?

 自分が大人となり柘植や南雲、そして後藤の気持ちが多少でも判る年齢となってきてこの切なさや立場というものの重要性を感じている。若いころのがむしゃらな恋愛では無い思慮深い大人の恋、そういった目線でこの作品を見るのもなかなかいいものであると思う今日この頃。

 



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2005年12月27日

廃墟の東京水路:パトレイバー劇場版

 少し前のことであるがNHK BSで『機動警察パトレイバー劇場版』シリーズを立て続けにやっていた。一作目と二作目はLDでもDVDでも持っているが放送されていると思わず見てしまう。一作目の劇場版が89年製作であるから公開から既に10年以上経ったことになる。もっとも押井守監督作品であるからして10年ごときで色褪せることは 無く、いまでも一級の面白さを持っている作品だ。

 パトレイバー劇場版に於てもっとも見るべきシーンは刑事二人が廃墟となった東京を徘徊するシークェンスである。押井守監督は廃墟というものに対して非常にこだわりのある画を作り出す人で他の作品に於ても廃墟を主役として描いているものも多い。

 川井憲次によるバリのガムラン風のアジア的なサウンドトラックを背景に描きこまれた東京のシーン、幻のようでありノスタルジックさと人々の生活感を見事に描き出している。これは『うる星やつらビューティフル・ドリーマー』に於ての友引町のシーンの拡大引用にも思える。他の作品でも同様であり後の『攻殻機動隊』、最新作『イノセンス』ではアニメとしての頂点に立つ廃墟を表現しているのではないか。

 廃墟を見て何を感じるか、それは個々の人々によって捉え方も異なる、しかしここ数年の廃墟ブームというべき多数の写真集のベストセラーや映画への引用などは数しれない。昔繁栄したであろうその世界が崩れ行く様は人々の心を捉えて離さないのであろう。劇中では過去の象徴として描かれている廃墟であるが押井監督は見事な手腕でその本質をアニメの世界で描ききった唯一の監督であると思う。

 もっともこの廃墟のシーン、アニメとしては失敗であろう、何しろ演技が無い。動くことが最低条件であるアニメに於て、さらに制限された時間の中に於てあれだけの廃墟のシーンを作品に割けるというのは恐ろしいことである。タルコフスキーのような、ヴェンダースのような都市や街並みを主役にした映画を撮る監督にとって都市や廃墟はそこにあるものである、しかしアニメにとっては一から作り出すものだ。アニメとしてこの無意味なシーンを挟み込むことで独自の空間を演出している。それが押井流の演技なのかもしれない。

 押井守監督を語るときに必ず出てくるこの廃墟のシーン、じっくりと堪能して欲しいと思う、ウィルスによるレイバーの暴走はこの廃墟を引き立たせるための脇役でしかないのだから。





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